こころの間取り四畳半

野生動物、写真、外遊び、考えたこと

降りるはずの駅はうしろ

以前写真のことで僕にアドバイスしてくれた老人と再び話すことができた。大変勉強になったし、撮影へのモチベーションも上がった。
老人曰く、「他人と同じことをしていてはだめ」「撮影の対象を一つに絞るべき(野鳥なら野鳥、動物なら動物、風景なら風景)」「撮りたい絵を決めてひたすら待つこと」だそうだ。
言わんとすることはとてもよくわかる。
自分の作品を商品とするならば、自分にしかとれないものでなければならないだろう。
あれもこれもと色々なものに手を出して撮影していては突出して良いものは撮れないと思う。
一つの作品として動物を撮影するなら、被写体はもちろん背景や構図、光の当たり方など全ての要素が完璧にマッチしていなければならない。それは偶然に、運よく撮れることもあるかもしれない。だがそのケースは稀で、素晴らしい作品のほとんどは緻密な計算と周到な計画、たゆまぬ努力の結果なのだろう。

それはわかっているつもりだし、時間があれば僕だってそうしたい気持ちもある。しかし、何より僕がそうしない理由は、今はまだ色々なものが見たいし、知りたいからなのだろう。
老人が見せてくれた写真に珍しいものがあった。しかし、僕は初め何が珍しいのかわからなかった。それは目の周りが白く部分白化したアカハラの写真だったのだが、教えられて始めてそれが珍しいものだとわかったのだ。自分の無知が恥ずかしかった。
鳥だけに絞って勉強していれば、もしかしたら知っていたことなのかもしれない。もともと真面目に勉強していたのかと言われるとそうでもないのだが。
でも今は色々なものに触れて知識と経験の幅を広げたいとも思う。一つに絞って深めていくのはこれからではダメなのだろうか。
その老人は「月に1枚を目標にする」を信条に撮影に臨んでいるそうで、これは見習いたい考えだ。デジタルカメラでは多量のデータを保存しておくことが可能だが、それによって1枚に懸ける気持ちといったものが希薄になっている節がある。
写真家のジム・ブランデンバーグは秋分の日から冬至の日までの90日間、1日に1枚だけ写真を撮影した。
ここまではやらないが、多少は1枚の重さを考えるべきかもしれない。


「人と違うことをする」
これを聞いて思い出したことがある。僕は今でこそ平凡なサラリーマンと成り果てたが、小学生の時は人と同じであることが嫌いな少年だった。
写生大会でショベルカーやダンプカーなどの工事車両が題材となったときに、皆が対象を横や斜めから描いていたが、僕だけダンプカー正面ドン。それで金賞も獲ったし、あの時の僕はかっこいいなあ。

それはそうと今日撮影したものです。

エゾシマリス
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センダイムシクイ
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キビタキ
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コチドリ
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説明は省く!